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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

ティム・インゴルド『線の文化史』、ジャック・アタリ『ノイズ』

刻印、糸、発話、刻印、to read、to ready、lego、復元、朗読、反芻、祈り、押印、織物、組織、結び目、さまようライン、知が沿って育つこと、決断、伝達…

 

 

交換、大量の、願望、無力化、検閲、紛い物、選択、プログラミングとしての音楽、反復、意味の破壊、抽象的な権力、増殖、フリー・ジャズ、反省的、集団、差異、欠如…

 

 

 

ラインズ 線の文化史

ラインズ 線の文化史

 

 

 

ノイズ―― 音楽/貨幣/雑音 (始まりの本)

ノイズ―― 音楽/貨幣/雑音 (始まりの本)

 

 

印刷加工連のかっこいいPV

inkaren.com

 

PVがすごくかっこいいです。

音や感触で素材の声を聞き取り、命を吹き込んでいく丁寧で無駄のない行程。

落ち着きます。

 

わたしはまだまだ自分の仕事の突貫工事みたいな側面に踊らされがちだったり

条件や制約に飲まれて視野がせまくなりがちだったり。

「できる範囲」「今結果が出る価値」といったものに囚われていること。

時間やリスクに対する不安に囚われていること。

自分で切り開いていくということを忘れがちなこと。

PVを観たあとそんなことも思わされました。

 

 

うれしかったのは、ギブソンが「情報」の最後の項に「表現」を置いた意味が肚落ちした感覚があったこと。

自分で見えている世界を創っていくこと。あたらしく独自の価値を吹き込む主体として、力や技術を見つけてつかっていくこと。

「交換」や「価値」といったものがあらかじめ「ある」とされていることを

ひとつの可能世界として脇に置いてみる時間をつくってみることくらいはできるはずだし

そうしないと、、と思います。

 

 

この人は写植の仕事、この人はたぶん印刷の営業さん、この人はカメラマン…

けっこう、雰囲気や体格でデザイン周辺の人の職業って分かります。

それだけ、ひとつひとつの仕事は人を形成してしまうということでしょう。

自分の生活や考えていること、気になっていることと、自分のつきあっている仕事とは切り離せないもの。

自分のなかでのいろいろな課題について、まとめて慰藉や転換のきっかけとなるような映像でした。

 

 

すかすかした仕事はぜったいしない、嫌な言葉も嫌な表現もぜったいしない、

表現で情報を変化させてつくり出し、渡していく。受容できる存在になる、というようなことを思います。

 

(今は。)

 

 

見たり、読んだりすることで世界をひとつひとつつくっていくのではないか。

ソフィ・カルの〈盲目の人々〉という作品などを思っています。

fgn2008.exblog.jp

後藤武、佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学』 痕跡、サーフェス、受容、表現…

ギブソンは生涯をかけて苦心して「情報」についてのある種の理解を得た。この理解なしには視覚の問題は議論できないことを思い知った。そのようにして情報の理解に到達したとき、彼は初めて表現についてまったく新しい舞台で議論できるという確信を得た(※生態学的視覚論)。
ひとつの書物を費やした長い視覚についての議論の最後に、彼は「表現」の問題を配置した(※絵と視覚的意識について、動画と視覚的意識について)。

 

 ギブソンは「アフォーダンス」という言葉をつくった人です。

たとえばテーブルがあって、誰もがそれぞれの視座で視線でそれを見ている。そして、これは長方形だと誰もが認識している。でも、そのテーブルそのものを、そのテーブルが長方形であるところを、実は誰も見たことがないということ。これに自分のなかでリアリティをもって気づき、こだわるという行為はアートではないかと書かれています。

 

環境によって人が変化し自ずと活動させられることや、認識のずれが常にあること。それらの発見をきっかけに、ギブソンは「情報」というものを考えました。そして、「情報」と「表現」の密接な結びつきを探り当てました。

人は動かされ、揺さぶられている。自らの「行為のどもり」によって生命を発生させながら持続させる存在である。そう思わされます。

 

 

そういえば。

この条件が整うからしあわせ、これがこうだからこう、この経験は次に生きる…ということはない。
人の認識はいつもかなり遅れてやってくるし、自分で意識できる範囲内ではまったく論理的ではない。

自分の今の二大シアワセといったら、「日中部屋の灯りを消して出ては帰ってくる」ということ、「だいぶ疲れた夜に自転車でどこまでも行けそうな感覚になりながらも家に帰ること」です。

この感覚を、わたしは誰にもどうやっても説明できないでしょう。けれど、たしかに自分にはこれらの環境が完璧に自分を支えてくれるもので、全面的に負っていると確信しています。

言葉にした途端にこのことは嘘くさくなるということも。

 

話す、表現するということは、どこをどう切り取るかという、いつも1回きりの、ほんとうに「表現」であるということ。

また、行為と痕跡。痕跡になりうるとっかかりが見えたときに、それをヒントとして何かをつくりうる契機が生まれる、とも書かれていました。

 

 

わたしたちはまったく主体的な存在ではないのかもしれません。

どう受容するか。この難しさにつきるのかも。

 

どうやって人は境界をみとめるのか。

インスピレーションを与えるものが、なぜか、ある。

きっかけのようなものが内在していて、人の行動や考えを誘うものが。

デザインの便利なところは、何かを「ある」としてしまうことができること。 

 

 

われわれの目的は、テクストのひらかれた意味形成性を理解し想像し生きるようにすること。

ロラン・バルト記号学の冒険』

 

 

デザインの生態学―新しいデザインの教科書

デザインの生態学―新しいデザインの教科書

 

 

 

記号学の冒険

記号学の冒険

 

 

 

ピッツェリアのPRについてディレクションをしました(Pizzeria Capricorno)

Pizzeria Capricorno(ピッツェリア カプリコルノ)のPRについてディレクションをしました。

 

Pizzeria Capricorno

試食会にうかがいました。

シェフやスタッフの方の経験の豊かさをひしひしと感じるひとときで

心のこもった、そして美味しい料理をほんとうにゆっくりいただきました。

ナポリ薪窯を使って、400℃以上で一気に焼き上げる!だから素材の美味しさが引き立つ、というところが売りです。

江坂、大人の街だった!ゆっくりできそう。

 

 

大阪市営地下鉄北大阪急行「江坂駅」にて、9/15(木)オープン。

※オープン日9/15(木)はディナーのみ。翌日からランチが始まります。

 

 

 

 

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クラウドワークス、ランサーズなどでの仕事のもらい方

利用しはじめて何年めだろう、最近になってようやくクラウドソーシング系でもじわじわ仕事をいただけるようになってきました。

自分の環境や目的、目標によって流動的にサービスとの付き合い方は変わってゆく。あきらめるところをあきらめ、急に少しコツが掴めてきました。

 

●使ってやろうと思わないこと(何事も。もちろん。だけど、そうなっていないかどうか度々ここへもどることは大事かと思う)。

使われにいくのだと思わないこと。

ほんとうは直で仕事をもらえるほうがいい。多くのことをこのサービスに代行してもらっている分、やっぱり抜け落ちるものはかなりあるはず。

自分が何を大切にして相手と付き合うかということを考える。メッセージで丁寧に正直に、相手に自分の提案や立ち位置を伝えること。

自分のなかでたびたび目標設定を更新して、自分の仕事のクオリティを上げていくこと。

いっときどっぷりこのサービスに関わり、研究する期間を設ければよかったと思っています。そうすればもっと早くコツや感じが分かったのでは。でも、それを時間のロスだと考えてしまっていました。もっと先のことを、希望をもって考えるべき。

せっかくなのであまり慣れない仕事にもチャレンジできる。ところがいいと思います。

●また、自分で基準や枠組みを(仮に)決めて、やることを絞ること。

コンペはやめました。ちょっと無理。

プロジェクト形式の案件のみチェックしています。

高額のところからチェックしていく。

応募する人たちのなかで、いちばん安いと思われる金額を提示しています。このサービスを利用して儲けることは考えられない。

自分のメールに来る毎日のお知らせは、件名をみて、中を開くか開かないか決めるようにしました(クライアントからのメッセージはもちろんすべて見るけれど、自動配信のものはほぼ見ない)。

フォルダも分けたらすっきり。

クライアントに見つけてもらうために、マイページや、ポートフォリオを充実させること。

できれば、クライアントに会うこと。

●あとは、先につなげることを考えていこうと思っています。

 

有馬湯女/八上桐子(川柳)×升田学(針金アート)(葉ね文庫) ゆらゆらの〈こと〉

有馬湯女/八上桐子(川柳)×升田学(針金アート)(葉ね文庫) ゆらゆらの〈こと〉|とみいえひろこ~Cahiers~|note

(↑こちらに書いたものを転載)

 

 

 

ぜんぜん時間をかけて観たわけではないけれど、針金と腰紐と文字、その気配と影がきれいだったので。

 

 

句や歌や詩を、文字で読むとはどういうことだろう。


書かれた文字を読むことは、複雑なはたらきを生むということ。
書かれた言葉を体で受けとめた衝撃が自分のなかで解釈されようと呼吸し震動しつづけるはたらき。その間にも書かれた文字はわたしの目に入りつづける。わたしは文字のもつ、言葉をその言葉の起源に立ち戻らせようとするはたらきを常に感じつづけるということ。
その、言葉自らが立ち戻ろうとするはたらきもまた、衝撃を受けて拡散したり逃げていこうとする読み手をも震わせつづける。ある意味矯正しようとする。時空間や直感、つまり読み手の立ち方を揺さぶりつづけるはたらきを発生させる。

 

 

歌や句を表すということはどういうことだろう。


川柳は情そのものを表したい器、構造、詩形…なのかもしれない、とも思った。人が抱える何かわからないものをたとえば〈情〉と名付けたら、情はたとえば〈うらみ〉〈つらみ〉〈よろこび〉〈かなしみ〉などという形をとって現れる。
人は何かわからないものの説明をつけたがる。うらを見ようとして、つらを見ようとすること、うらをわかろうとして、つらをわかろうとすることは、うらを見せ、つらを見せること。わかることは説明をつけることとは違うけれど。

 


見えないとき、わからないとき、それを表現することで何かわからないものにすこし近づける気配がある。ただ、そうして謎は深まり、道がどんどん現れる。結局見えないしわからないはず。

 

見えてもわかっても意味がないし、ましてや説明しても意味がないけれど、どちらにしても人はその何かわからないものに引きつけられる。
人はその〈うら〉や〈つら〉に揺さぶられる。揺さぶられるのは、現れ、表すという行為によって自分の影が意識されて共鳴するから。共鳴して〈うらみ〉〈つらみ〉をつくる。人は自分が立っていられなくなる身を守るためにわかろうとするともいえる。

 


川柳は腰紐に書かれていて、でも、針金も腰紐も影ももちろん文字だろう。
その、ゆらゆら揺れている〈こと〉を眺める感覚が気持ちよかった。

 

 

  

エクリチュールとは、まさしく、文法上の種々の人称と言説の種々の起源とが、混じり合い、入り組み、見失われ、ついには評定しがたいものとなる空間にほかなりません。エクリチュールとは、人間(作者)の真実ではなく、言語活動の真実を示すものです。
ロラン・バルト 花輪光/訳『記号学の冒険』)

 

 

 

有馬湯女 八上桐子(川柳)×升田学(針金アート)
葉ね文庫にて10月初旬頃までとのこと。

 

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冨家弘子(とみいえひろこ)