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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

iの便利さ

iPhoneて便利ーー、とまんまと自分が思うものだなと思っているところ。できるだけ使わないようにするためにiPhoneにする、と思って契約しました。また、きっともっと便利な機能をほぼ使っていないので、まったく「i」、わたしにとっての便利でしかない。でもそれがやっぱり「i」に込められたことなのかもしれない。使い方も変わるだろう。電源を切る日があってもいいなと思うし、そうしたい。

今のところ便利なのは

・メールがgmail一本になったこと(まだ図書館以外このことを連絡していない。それでまだ大丈夫(?)なほどにPHSのメールを利用していなかった)

・迷惑メールを消し、急いで返信すべきメールか判断できる

・子の写真が撮れる(気軽に、ほんとうに「撮れなかった」。赤ちゃんのときの写真もほとんどない。何か気分的なものだろう)

・動画を外で視聴できる(これも気分的に大きな変化。ひとりで、好きなときに好きな音を聴くことができる状態をわたしは確保しているという安心感)

・何かするときに、探せば即席で使えるアプリがあるかもしれないということ(インタビューのときのマイクなど)

ほんとに、これだけで、便利と感じてしまう。

アプリとはそれを使うための手間をひとつなくしただけのものなんだなとか。「タップ」という言葉の繊細さとか、、そんなことで。

 

iPhoneが使っているわたしのことを認識していく感覚があり、それはとても不気味にも感じた。誰もフォローしなければ自分が何者か定義できないツイッターの、ぽっかりした穴のような感覚のことも思う。流動的に「i」が形を為していて、それはわたしの選ぶものでできている、壊される。

 

細切れの動作によって待つ時間を少なく感じるから、流れてくるものを延々と見てしまいがちになる危険さも感じる。ツイッターなど、見ようと思えば離れていた時間分すべて見ることはできる。酔うけど。

 

「i」「私は…」と探し続け可能性をどこまでも広げるということを込めたのだろうか。いろんな解釈が混じることで、道具が道具になっていくんだなと思う。飲まれては愚かだけど、怖いことは何もない。