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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

自分の仕事が安すぎると感じる理由

息子に、お給料が入ったらズボン(ズボンの意味で「パンツ」って普段の会話で使っている人っているのかな。わたしはズボンはズボン、パンツはパンツと言います)買ってあげるという話をしていた。わたしのお給料がいくらなのか聞いてきたので教えたら、「やっすー!」と言って笑われた。「万」の単位を知らないので、だと思う。でも、笑われた瞬間に、ああ、ほんとに安いな!と思ってわたしも大笑いしてしまった。息子の風邪などで有給を使いきってしまった。なので、これから3月までは(?)1日休めばその分引かれるしくみ(に、いつか話し合ってしたので。その方がわたしも気は楽)。さっそく引かれていて、ほんとに安い。これで生活ができるわけはない。ぜったい。このことについて何か自分をごまかしていたように思うし、へっぴり腰だったようにも思う。これからはほんとにできることは迷わずやってみると思う。なんとなく、笑い声でぽんと押し出されて、客観的に見るコツが分かったように思う。あと、大きな意味で、ずっと自分の仕事について考える、自分の仕事をとおして世の中やいろんなところにいる「私」を見つめるということだ。その間に休憩が入る。休憩をうまくとるというのは、そうやって自然に発生するものだ。

 

運動会の時期。練習していることをいろいろ教えてもらう。前にひとり走って、うしろで走っている人が、走るリズムに合わせて「ふぁいっとー」と声かけをする、という走り方を息子に教えてもらった。背中からにこにこ応援されるっていうのは、たまらないね。

 

あらかじめ示され与えられた枠組のなかで自分の状態を見て判断することは、ぜんぶ「させられている」こと。誰も悪くなく、すこし、はみ出ること、飛び出すこと、違う人になって、そこから見ることだけだと思う。

自分が安いことをしている、と、どこかで思ってきたと思う。そこらへんとつながりがあるような気もする。何に対して安いことをしてきたのか。自分のやることはすべて安い、ツメがとくにスカスカ、と。ものや自分の存在、その余白を自分は心から理由なく尊重してきたかどうか。何者かの枠組みのなかで、思いたいことを思っているということにしてきたということ、そのほうが面倒でないと思って、そう、思ってきたということ。考えなしだった、ということ。

お金にもちろん価値はない。〈お金に象徴される何か〉以外の価値やよろこびを、やっと最近になって、(仮に)たしかなものとして感じられるように、その感じた自分の心に応えることを思えるようになってきたと思う。

 

>商売ってのは、水を差しだす、ということよ

>いい編集者も、悪い編集者もない。いるとすれば、編集者か、単なるサラリーマンか、そのどちらかだ

↑言葉を表面にも使い言葉で勝負をする商売の人は、時にうまく言いすぎて、聞いていてさらっと捉えられすぎてもったいないときもある、気がする

インドの一冊一冊手作りだというタラ・ブックス、三重の『kalas』など、気になった。

働くこと、生きること、わたしはあなたを知らない、ということ。本質的なところへ思考を戻し、波のようにまた引っ張ってきて形にするということ。必要があり自分の仕事としてそれをやるということ。そのようなことについて誠実に自分の心のうちを調べ、描き出された本。

『偶然の装丁家』矢萩多聞

 

偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)

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