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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

月の向こうからこの世界を見たら

すごい月だった。名月だ名月だとみんながいうので、子と公園まで見に行った(散歩しようと言ったら公園に行くことになった。そこまで本格的なのは求めていなかったけど、)。自転車でも公園でもずと月がない月がないと思っていて、少し焦ったりもした。でもなんかすごく明るい夜だし、たぶん月はあるのだろうし、いいか、と思っていたら、すべり台の上で子が月を見つけた。

そこに穴があいて、もう時空間を超えて向こう側の世界に来てしまったんだ、と思わせるような月。そこはかつて月と呼ばれた穴なのではないか。月の瘤のように落っこちた街灯が今(現在、より少し遅れて)地上に浮かんでおり、次に月と呼ばれるものとして地上に散らばっている。満月はいつもわたしは平たく見える。みんなあれが正円に見えるのだろうか。

 

>「公共の福祉に反しない限り」が「公益及び公の秩序に反しない限り」に書き換えられ、二二条の「何人も居住・移転及び職業選択の自由を有する」だけにはその制限がない。改憲案で基本的人権に無制限の自由が賦与されているのはこの権利のみ。

 

「公益及び公の秩序に反しない限り」に書き換えたときに、誰かが二二条にはこれはいらないんじゃないか?と思って外す。それをチェックした人たちも、そこ「だけ」にこの言葉がかからないことをおかしいと思わなかったということ。

 

何を、考えているのだろう??怖い。そう思う。しかし、そういう思い方だと、遅いのだ。すごく。その人、何かを動かし形をつくることができる権利を持つ人に憑依してその人の目であらかじめ世界を見ること。そして、その動かす権利を持つ人を動かしているのはわたしの心だ。それを、常によく見ておくこと。

また、その憑依の見方を進めたらどう見えるか?月の向こう側にわたしたちはもういて、あくせく動いている、または何か意志をもとうとしている、内からの力に突き動かされ、泣いたり笑ったりしているわたしたちを、本の1ページとして読むような見方。

そういう読み方など。

憲法の「空語」を充たすために』内田樹

 

 

また、高橋源一郎

『「反知性主義」について書くことが、なんだか「反知性主義」っぽくてイヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、と思って書いたこと」より

>外からやってきたどんな問いも、必ず、鶴見さんの「身心」を通過する。だから、速い。ほんとに速い。

>「考え」が速いのは、いつも、自分の「身心」に関心を寄せていたからじゃないかな。自分がなにで、どんな風にできていて、どんな風に反応するかを、いつも注意深く観察していたからこそ

>でも、その「速さ」には理由がある。自分の子どもが、目の前で深刻に悩んでいて、答えてほしい、って思っていたからだ。その質問に、この「回答」は見事に答えている。いや、応えている。それしかありえないと思えるほど、美しい回答であるだけではなく、そのまま、結局きみも自分で考えるしかないんだということまで含んでいるからだ。

 

そういう、表現の立ち上がり方など。

『日本の反知性主義内田樹 編

 

本のオビは無神経なものにまだなりがちで嫌。

 

 

憲法の「空語」を充たすために

憲法の「空語」を充たすために