読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hidden design

大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

捨てにくいとか、消費しにくいとか、壊れにくいというものは、最後には文化になる

>捨てにくいとか、消費しにくいとか、壊れにくいというものは、最後には文化になるんです。

後藤繁雄『デザインの未来』

戦国時代にあって、送り合うために発達し美が磨かれ、今なお保存されている屏風絵の話から。

そして、逆もまた言えるのだろう。捨てられやすく、消費されやすく、壊れやすいもの。見過ごされがちなものが生き残ったら、それは文化になるように思う。

 

今さら、後藤繁雄さんなど読んでいる。自分が今さなかにいるときに、その専門誌を読む、ということをほんとうにしない方で、どこか土台がないまま何かをすることを選ぶ。なんでだろう? ページをめくっていて、いやだなあ、と気が散る。出て行きたいなあ、と思う。小さな世界で事例を述べているだけに思ってしまうからかもしれない。かっこつけようとしている、と思ってしまうからかもしれない。他の分野の本を手に取りたくなる。でも、それでいいのかもしれない。そうやって、表現のとっかかりをつつかれ、発奮させられているということなのかもしれない。

 

「広告」は嫌だった。一冊の本や、読まれ、まるめられ、捨てられていく雑誌や、広告の意図とは反する好まれ方をして誰かの手元に残るチラシは好きだと思う。「広告」や「宣伝」は、それをする人という役目をつくり情報を回していくために誰かが、ごちゃっとしたもののなかから抽出し、少し意図を加えたものなんだと思う。元はそうだっただろうのに、その形式だけが引き継がれ見られ、存在が歪んでいったように思う。「広告」と言われるものはわたしは不快でしかたない。

何かずっと人が思い考えてきたことがふと形になる。それをアートや広告や宣伝や書籍や…いろんな名前を付けることで仕分けする。でも元はそう変わらない。自分で自分の見方や考え方を解体する手段として、ものづくりをとらえてみたい。

捨ててしまい、消費してしまい、壊してしまっているもの、見過ごしてしまっている、文化のかけらが自分の手元にあるはず。また、手元にしかないはず。

 

 

デザインの未来

デザインの未来

 

 

 

僕たちは編集しながら生きている (マーブルブックス)

僕たちは編集しながら生きている (マーブルブックス)