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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

息子が怪我をした

息子が怪我をした。「怪我をした」も不思議な言い方で、「怪我」を通過するようなイメージだ(生を、私が通過するように)。

わたしのいないあいだ(夫といた)息子が怪我をして、救急病院に行ったという。これから、紹介状をもって形成外科に行く。

日にちぐすりで治るものだと思うけれど、会社を何日か休まないといけないし、できれば多めに休みたい。で、この働き方ではやっていけない。

なんか、いい機会なのだろう。

すこし落ち込みながらか、隣にわたしなり誰かがいることになんとなくすこし安心しながら、創意工夫して背を丸めてごはんを食べたりけんけんして何かとりにいったりする生き物。こういうふうに、気配を感じる程度にそばにいられたら、必要なときに助けられる(助け合う)ことができる生活ができるなら、すごくいいなと思いながら、これからどうするか考えている。

…と言っても、とりあえず目の前にあるとれるかもしれない仕事をやる。あと、これを機に、今回は見送るか、もうこうやって見送ることにするのはやめるかどうか、考えて決めたいこともある。しめきりを考えると今日中に。

 

批評会の帰りの東京駅の夕焼け。氷の音が鳴ると世界が裏返る。たしかに私達は、「体験をせよ」とこの星に手放されたものかもしれない。瘤のような、しみのような。自分の血のにおいを目安にさまようような。オドラデクのような。体験することしかできないとふと思う。何かを超える犠牲として、かも。それはそれでいいのかもしれない、自分は。自分は。でも次に残る人は…。そんなふうに、自らの情や無知に、人は今までも悩まされてきたのだろう。

いろいろな価値を平らにする。平らにするというのは力を使うことで、破壊したり引きはがしたりすることも有効なのかもしれない。

詩人が誰かに電話で話したこと、「戦わないと決めた国があり、それがこの世の中では生き残っていけず滅びるのなら、それはそれでいいじゃないですか」、そういうエピソード、断片を目にした朝だった。

 

あと、にこにこしていることはすごく大事だなあと思った。生きる力になる。