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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

紙の泪/子の「見に行く」とわたしの「見に行く」は違う

Walfgang Tillmans/paper drop(window),2006と書かれたポストカードを、「しるし」として買った。「見つめる」ということの「しるし」に、と思って。見つめられることによって絵は絵になり、めくられることによって本は本になる。見る、読む、という、その行為をする者のほかの誰も知らない領域を経て。紙がたわめられ閉じられ、そこを守るように光がある。映り込みをした紙、の、たわめられた真ん中に光が突き抜け、ポストカードを見るわたしが見つめ返され。どう、解釈してもいいけど。

 

保育園に通う子の作品発表展があり、一緒に見に行く約束をする。何十分か見て、夫に預けて、、と思っていたのがぜんぜんそうはいかず、それは、お互いの「見る」ことの意味がそれぞれ違っていたからだ。わたしは作品を見ようと思っていて、子はその場にいて遊ぶこと・お友達を待つことを「見る」ことと思っていた。そのずれに気付けない時間があり、無駄に心が疲労した、お互い。

 

絵が痕跡やしみなのだとしたら、影なのだとしたら、行動もきっとまたそうで、わたしたちはもう終わってしまったことにどれだけ執着しているのだろうと思ったりもして、また、〈意味〉というものを手に握らされて立っているような、感覚もある。