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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル『すべては壊れる』鈴木創士・四方田犬彦トーク

ゴダールの『映画史』に、ラマルシュ=ヴァデルの詩が流れるんです、訳したので、と言って鈴木創士さんが朗読した文章。ぎゅっと、もう、立ち止まりうずくまるしかない気持ちにもなる。ほんとうに、そうだった、どこへも行けないわたしだ、と思う。


こんなくだらない世の中で、生きていると思えない。わたしは時代を信用しない。全体主義など信用しない。生命を支配し金とモノで麻痺させようとする刹那的で愚かすぎる時代を時代というなら。わたしが表現をするのは、時代を聴き取る耳を示してみたいと思ったから。未来も過去も今ここに含まれているはずで、その時代の音を聴き分け、示したかったから。それは聴こえているはずだから。時代というものがこんな状態にあるうちは、こんなものが眼に見えるものだとみんなで信じているような世の中であるうちは、人は生きるに値するとは到底思えないからだ。


いや、こんな文章じゃなかった、、、でもすごく衝撃を受けた。


鈴木創士さん、四方田犬彦さんのお話より。

美術評論家であり写真家でもあったラマルシュ=ヴァデル。全体主義、ショービジネス的なものに対する怒りがものすごくあったのではないか。視線が独特で、細部にはりついて凝視し根底に冷えた感覚をたたえながら、ひたすら憎しみや怒りを込めてへんなものを書き綴る。何のためにかぜんぜん分からないものを。最後は自殺だったけれど、晩年は「死」のことを丹念に執拗に描写していた。そのマニエリスムとにおいたつような古典主義から、世の中に対するうんざりさ、嫌気、憎しみが伝わってくる。それは秋成や近松にも通じるところがある。近松が描いた文楽は人情噺ではない。冷えきった感覚が底に流れていて、あくまでジャーナリスティックであり、なんでこの人がここで殺したか、死んだか、ほろっとさせることなど描かれてはおらず、一切の救済がない。そして近松の辞世の句の不気味さ。「自分は大したこともしないでふらふらしていただけで、こんな戯作家になってしまった、で、べつに何も残さなかった、けど一枚の板木が残った…でもそれがいったい何なんだ。」冷えきっている感覚、見つめようとする手段としておそらく自然に発生したマニエリスムは、フェチにならない。


このわけのわからないものを訳したのがすごい。その返しに鈴木さんが言ったのは、「このわけのわからないものを訳して絶え得る日本語がすごい」ということ。「てにをは」があるから、語彙数がすごく多いから、細部にせまっていくような文章に関しては、日本語はすごく優位。それは、一発で何が何にかかっているか分かるフランス語の明晰さとの組み合わせだからこそ訳せたのかも、とも。


ルイス・ブニュエル『忘れられた人々』。この映画がつくられ、「認められた」時代背景も語られ、わたしたちの、わたしの、「引き裂かれ」を強く意識せざるを得ない夜だった。いえ、引き裂かれにのまれるという怠惰のこの方法だけでどうするつもりだと思っていたのかと。新長田から三宮までは普通電車で、神戸の夜は暗い。このどうしようもない影を持ちあるくこと。

 

 

刊行記念トーク 鈴木創士・四方田犬彦 トーク『すべては壊れる』

参考上映「忘れられた人々」Los Olvidados ルイス・ブニュエル

神戸映画資料館

 

 

すべては壊れる (エートル叢書)

すべては壊れる (エートル叢書)