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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

ごみとガラクタ。リアルとネット。

大掃除とはいえない、いえない、片づけをしました。ごみがたくさん出ました。わたしの好きなのはガラクタ。でも明確にわたしがごみと思うものがあって、その、ごみとガラクタの違いは今のわたしのほかに誰もわからない。

 

「リアル」という言葉は意味がわかるようでぜんぜんわからなくて、意味などないのだと思う。

自分の生活環境上、メールを通じて仕事をしたり会話をしたりすることが、直に会ってそうするよりもかなり多い。顔が見えないだけに、文脈がなかなか共有できず、言葉の意味自体が通じ合わないこと、ずいぶん遠回りをすること、ついに通じ合わないままのことがずいぶんある。実際に会って話せばずいぶん楽だ。…といつまでか、思っていた。でも、それは実は「慣れ」だけの問題ではないか。「顔が見えないだけに」という捉え方は間違っているのではないかと今は思っている。顔なんかどこにでもあるんじゃないのか。顔を見て「分かる」と思っていたのは、そう思い込めていただけのことではないか。「分かる感じ」、その「感じ」を自分の肉を通して感じることに慣れてきたから、その延長上の「分かる」なら「分かる」。「確認する」に近い。自分にとって未知のことは、その「知の刺激」にどういう触れ方で触れていたとしても、やっぱり分からない。触れている時点で「分かる」とするなら、「分かっている自分を分かっていない」。

ものごとを進めるには、「分かる感じ」を共有できているほうが話が早いのかもしれないし、「分かる感じ」は「分かる」まで行きつく力になるから、その意味でその効果は大切だと思う。でも、それは「分かる」ではない、ということは分かっておきたい。…分かれないから、思いを馳せていたい。焦がれていたいと思う。