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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

恩地孝四郎展と、高柳蕗子『短歌の酵母』

恩地孝四郎展では、朔太郎を描いた作品がいちばん心にのこってしまった。顔のまんなかに皺を寄せ集め、池や沼を見つめているような角度でうつむいている朔太郎。いっしんに見つめる朔太郎の生が迫力をもって伝わってきた。

もちろんふにゃふにゃした生き物のおおもとの息づきであるような抽象画や、墨のもつ暗さに共鳴しつつその闇に奉仕するように制作しつづけた月映、そのほか思索的な作品もよかった。

彼も、「個」を掘り下げようとした人だと思う。そのモチーフに自分を使うのは、なかなかうまくいかない。直截的過ぎて、ひりひりして痛いと思う。隔てるものがあり、そのもどかしさや苦しみを抱えこみつつ対象に向かい、描かれた絵のほうに惹かれた。自分の使命のようなものをつよく感じていた人なのかもしれない、とも思った。

 

いつも、間違っているように思う。〈時間〉こそが生きていて、〈時間〉に思われることで存在する私を思う。読むことで読まれ、書くことで記される。

いつも、間違っているように思う。「いっしょうけんめい考えてしまう」なかにいることは、常に見誤っているということだろう。考えるということはそういうことじゃないし、そこじゃない。と思う。と思うことの延長が、「思う」ということだと思う。

 

高柳蕗子『短歌の酵母』を読んでいる期間、「わたしは時なんだ」と思い目覚めた朝があった。酵母菌のようにぷつっと目に見えるかたちで発生するもの、を共有したいこのエリアで、感じ、共鳴できるわたし。「渡し、割れる」動詞としての。もっと、ぎりぎり存在する存在のための。かもしれない。

短歌の酵母

短歌の酵母