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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

紙の音が好き/田子學『デザインマネジメント』

「なぜ」には無限に解がある。または、ない。

〈「好きなもの」で人は、わたしは、生きていられる〉として。「なぜ」それを好きか、と問う方がいい。また、答えがどうかというより、「なぜ」と「問う」が大切なのだと思う。答えに固執しないということ。

 

紙の音が好きだ!と自覚したことがある。さまざまな紙の音が好き。目が覚めるような感覚になる。その音の表情によって、無限にある世界のどこかの世界に目覚める感覚になる。それで自分は紙にまつわる仕事を続けているのかもしれない。

「なぜ」自分がそれを好きか、ということを人は自覚できないし説明できないと思う。

「ただただ好き」はやがて目的や目標、理屈を伴う。関係性の世界のなかで生きている限り、それは必然なのかもしれない。その、伴うものの表現のしかたや感じ方がより直観的な方法になっていくにしても。理屈を通りながら自分の表現をするというやり方は、世界が広がり深まることかもしれない。たぶんそうだと思う。
目的や目標、理屈。それはもともと自分のうちにあったものともいえる。正直にそれを自分で明らかにしていくこともできるし、それをおしひろげたり踏み台にしたりしてさらに飛躍することもできる。
形があるものに凝り固まってしまうことも多々ある。たぶん、下手に考えないほうが、好きなもの・ことを追求するときにうまくいく。


「なんとなく大好きなものを続けていられる環境を求めているうちにそこにコミットするようになる」という流れを、息子の環境の変化にいま見ているところ。
ただサッカーが好きで遊んでいたら、それにまつわる情報が入ってくる、そのなかに入る。しょっぱなから試合の場に立たされる。
くやしさやさみしさはあると思う、けれど、楽しいと思う気持ちがかなり大きくその子を成長させる、全方位にわたって。

 

たぶん、下手に考えないほうがうまくいく。
けれど、うまくいってそれがどうなんだろう?
考えないほうがある程度まではうまくいく。また、いまの未熟な自分が救われようとするような、つじつま合わせのような考え方はいけないと思う。それは意味がないことなので。目的が全然違うので。

いろんな解を出そうとしてみる道のりが表現であって、やっぱり考えたほうがいいのだと思う。

いろんな「なぜ」をつくっていくことは、意味のあることだと思う、なぜだか。

 

いったいどうやって、苦痛と叫びである生を正当化できるのか? いったいどうやって、「邪悪な病んだ質量」たる生を、すなわち、われとわが苦痛とわれとわが叫びの数々を糧として生きているような生を正当化すればよいのか? 生の唯一の正当化、それは〈知〉であり、〈知〉はそれだけで〈美〉であり〈真実〉なのである。

ジル・ドゥルーズ 守中高明・谷昌親 訳『批評と臨床』 

 

デザインマネジメント

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批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10)

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