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大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

うまくなってどうするのか 〈ない〉力を発生させるためのポイント

何かを好きになって、練習したり先生をみつけたり、コミットしていき、憧れ、技術を追いかける。

うまくなってそれでどうするのか?と疑問に感じる時が出てくる。

それは、上達の波が止まったように感じるときのごまかしの気持ちであることもあるし

もうそれに飽きてしまったことのごまかしの気持ちであることもある。

 

うまくなることがどうしても必要で、それは、

その技術=観方を得ないことには

「それ」に関わる意味がない=「それ」にほんとうに関わることができない

からでもある。

 

そういった理由や意味がたしかに自分のなかにあったとしても、「うまくなってそれでどうするのか?意味があるのか?」と感じる時がある。

そういうときって、やっぱりどこかがずれているのだと思う。

そして、「ずれている」=「だめ」ではない。

「技術を得ること」自体が目的になり下がっている。そういう状態にいるのかもしれない。

「自分が今どこかずれている」と感じていること。それは、大事なことだと思う。

 

 

・なにかを思うとき、考えるとき、自分を常に数に入れ忘れないこと

・人のために存在や行動はあること

・無駄なことに、無駄に時間を使って触れること

・欠点が助けやきっかけになること

 

 

うまくなることは、

「今現在の自分を忘れ/自分の技術のためにできるかぎり効率よく欠点をなくしていく」こと。

でも、

そのまったく逆のほうへ向かう力、求めるベクトルを意識すること。

そこに覚醒がふとあるように思う。

 

目をつぶったらどこにいても空を飛べる。もっと盲目になり、わけのわからない好奇心におされて飛んでいく感覚。

また、

空をもしかしたらほんとうに飛んでいるかもしれない恐怖。必死で足に地を着けようと心を落ち着かせる感覚。

その両方のベクトルを思いきり意識し、拮抗させ、まんなかに立つこと、いること。

それは動いてやまないものでありながら永遠に「ここ」に止まるもの、力。

 

〈ない〉力を発生させるためのポイント(のひとつ)が〈拮抗〉を意識するということ。

 

うまくなってどうするのか/そんなもの信じない

うまくならないとだめそこにしかほんとうのことはない

 

こういうのも拮抗させる手段であって、疑問自体は解かれることはない。言葉で把握できている問いに夢中になってしまうことは、愚かなことかも。

 

 

悪の知性

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