hidden design

大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

コンビニが「生活のインフラ」ということ

近所のコンビニに行ったら、風船をご自由にお持ち帰りくださいとあったので持って帰った。

抱えて自転車のカゴに入れるとき、ふわっと飛んでいきそうになる。

あ、飛ぶんだった、風船は。

 

自動ドアに、義援金の報告の張り紙があった。

集まった金額の報告と、「当店はみなさんの生活のインフラとして、今後もお役に立てるように頑張ります」という意味のことが書かれている。

コンビニは生活のインフラなんだ。そうか、そうなったんだな、と思う。

わたし自身は、どうしても必要なときにしかコンビニには寄らない(割高の印象もあるし、あまり好きな空間ではないから)。でも、書いてあることはよく分かると思った。

●店員さんの接客が素晴らしい。

スターバックスかコンビニか、というくらい素晴らしいと思う。いつからかそう感じるようになって、夫に話したりした。

・年配の店員さんも増えてきたことで、地域や性別によって個性をウリに接客している人も(おばちゃん的優しさなど)多くなってきた気がする。

・若い方もしっかりしていて、臨機応変に対応してくれる。

・挨拶がとても丁寧でタイミングもよい。

●コンビニ併設のカフェ(形式のもの)で休憩している人はけっこういる。

●子がいる人、朝早い人、夜遅い人、困った状態にある人…弱かったりしんどかったりする立場にある人にとってありがたい。こんな時間に開いていてこちらからアピールしない限り放っておいてくれる、見守ってくれることがありがたい。

 

インフラの役割って何だろう。

コンビニのいうインフラとは、ここにいれば安心「感」を得られる、と感じさせることができることかと思う。

 

「安心感」は必ずしも「安心」と結びつかない。コンビニは「優しく」はない。ただ、もし、助けを求めたら、わりと冷静な判断によって公平な処置がなされるように感じる。それは「何らかのムードに浸されていないから」ともいえる。

 

「お気に入りのお店」「優しい人」、そういったものは人に「安心」を与える。そして、「安心」はどこかひとつでも指針がずれると「危険」なもの、敵対するものになり得る。かも。

「お気に入りになるため」「優しい人であるため」。そこに「こうあろうという意志」がある場合は、その恩恵を受けている「わたし」の意志と相反するものがひとつでもあると、ずれる。「わたし」にとって、「安心」が「危険」にころっと変わってしまう。

それは、「誰かにとってのお気に入りになるため、優しい人であるため」という、目的にともなう対象があったから。

 

コンビニには「顔のなさ」があると思う。「誰にでも、どんな状況にとっても」コンビニはコンビニであろうとする。人によって顔を使い分けないことは、「顔のなさ」だと思う。

そして、「顔のなさ」は、ある「安心感」につながる。「安心」じゃないけれど、コンビニがある「感じ」、いる「感じ」がある。その「感」をたよりに、コンビニを人は利用すると思う。

そのとき人は、自分で「感」を自分ののぞむように書き換えるのでは。安心を求めているときであれば、自分の「安心」そのものを育てていくことができるのではないか。それは自律、自立するということだと思う。

 

インフラはinfrastructure、下部構造。何をもって何を「下部構造」「基盤」と呼ぶか、その状況によって変わってくる、相対的な概念という。

 

「コンビニが生活のインフラ」という意味は

「生活に必要なものがいつでもそこにある」という意味の「万人の生活のインフラ」というよりは、個人の精神的なことに関わる、「インフラのインフラ」という感じがする。あくまで、生活は個人のものだから。
コンビニの、「顔のなさ」が、個人が必要とするどの「感」にもなり得るように思った。