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著作権?『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』ドミニク・チェン

 

creativecommons.jp

京都大学のOCW

国連大学のOCW

 

 

まだ読んでいる途中の本です。でも自分にとってかなり良い本に出会えたという感触があるので。

 

 

著作権って何だろう?

 

著作権、って何なんだろう??ともやもやしていました。著作権の意味って何だろう?

どうして、表現を自分の「もの」といえるのか。「新しい」ことは「どこにもない」ことなのか。それをどうやって評価するのか。「創造」は「剽窃」とは関係ないのか。「良い」と感じるものと「既視感」は関係ないのか。

表現をもって、たとえば「たたかう」ではなく「争う」ことに夢中になっていないか。エトセトラ。

これらは、「著作権」という権利の背景を理解していないところからくるもの?だろうか。ここらへんはちゃんと調べないと分からないけれど。

 

言葉の背景をみていない感覚がすごくあるのです。自分が。また、そういうシステム(構造)のなかに埋もれて苦しい、という感覚も常にある気がします。

 

 

情報は誰のもの?

 

たぶん、ここに書かれてある大切なことは、

●自分のものなど、ない(「自分」も、「自分のもの」もない)。

●分かち合いながら巡り、巡らせること=情報=生のさなかにいること。

というところをスタートとしたことだと思います。

そして

●その背景があって自分たちがつくった権利のしくみを理解し、今、自分を主体として、自分たちが抱えている問題に適応できるようなルールや方法を考え実行してみた。

ということ。

 

表現「物」があり、それは商品でもあり、資本となる。その資本を元手に利益を得ることができるけれど、それを得る「べき」人は誰?(「争い」の火種はいつもそんなようなところにもある)

最終的に形にした人、そのプロジェクトの責任者、関わったスタッフ、アイデアを出し企画書を書いた人…。

でも、ほんとうのところは、利益が還元される「べき」人すべてには還元されていないはず。そこは折り合いだっていうことを、常に頭に置いておかないと危うい。

どう危ういかというと、「自分のもの」として抱え込むと発展がなくなるからということがひとつ。本来の自己保存の意味に適うようにするなら、どんどんアウトプットする(=今の自己を保存しない)ことで発展していくことが健全なのではないか、という意味で、危ういから。その他きっといろいろ。

 

「物」が生まれたのは「そのアイデアのもと」があったから。そのインプレッションは膨大にあり、誰かの脳に情報として積み重なり、その誰か自身や周囲の情況がタイミングよく化学反応し…そうやって時間をかけて「物」になったはず。

そのインプレッションすべてに利益を還元させるのが理屈。だけどそれはいくらなんでも無理、というところで(こそ)経済や生活がまわっています。

 

 

創造は「目的」か「手段」か

 

それはそれとして、その「創造の行程」が可視化できてきたのが、インターネットの恩恵だという意味のことをドミニク・チェンは書いています(経済や生活は「手段」だととらえているのだと思う。これをわたし、忘れがちだ!情けない。と思った)。それでも、すべての創造の行程が可視化されて説明がつくとは、たぶんまだまだいえないのではないかと思います(でも、いつかいえそう。著者は「創造の過程」のようなものに興味があるのかな?そういう、個人的で膨大なものをつかみたいと思ってしまうような興味のもちかたが動機になると思う)。

 

しかし私たちの文化活動は、生まれ育った環境に大きく依存するとはいえ、遺伝子に束縛されるわけではなく、実に多様な文化的創作物の中から好きなものを自由に選択し、継承することによって、特有のアイデンティティをもつものとして統合されていくプロセスだといえます。その過程で私たちは、意識的にかつ無意識に、みずからの文化的な系統を形成していくのだと考えられます。

このように創造活動の時間的な推移を、継承行為とその系譜という観点から考えてみると、創造とは「学習」という行為と表裏一体であることがおのずと浮かびあがってきます。本書の後半部分では、継承、系譜、学習といったキーワードを元に、これからのフリーカルチャーが開拓する地平線を素描してみます。

 

何が「手段」で何が「目的」か。いつのまにか「手段」が「目的」になってしまっていることって、すごく多くないか?疲れて「すり減っている感じ」がするっていうのはおかしくないか?

そんなことを思う、こういうタイミングで読めてよかった、と思う一冊。

 

 

フリーカルチャーをつくるためのガイドブック  クリエイティブ・コモンズによる創造の循環

フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環

 

「free=無料」ではなく、自由に素材を使い発展させることができるという意味である、ということは繰り返し書かれています。

 

オープン出版を実際に反映しています。フィルムアート社でダウンロードできるよう。

filmart.co.jp

 

また、DOT Placeの連載「読むことは書くこと」もよかった。

dotplace.jp

 

だからこそ他者の作品を受容することが決して「消費」という貧しい言葉に収斂されるべきではないでしょう。同様の理由で「コンテンツ」という言葉の使われ方にも根本的な問題があります。なぜなら創作物を「content=内容」と呼び習わし、「人気のある/ないコンテンツ」の集積として文化の生態系を捉えることは、特定の「内容」という同一のパッケージが「よりよく伝達」され「よりよく消費」されるという前提に立つことで、読み解く側の「生成」行為を軽視し、その複雑な豊かさを乱暴にも捨象することに繋がるからです。