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川島朗×近藤隆彦「秘密の植生」~Dr.ラフレジオの部屋~/ギャラリーヨルチャ

川島朗×近藤隆彦「秘密の植生」~Dr.ラフレジオの部屋~

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期間を過ぎたらそのページに飛ばないかもしれません。

 

 

レイドレイクはある

島朗さんは、たとえばレイドレイクという土地、それをモチーフに生まれた映画があるとして、物語を掘り、思索を深めます。展示されている作品はその映画をモチーフにして創られたものたち。レイドレイクとは…ドイツの孤児院の子が森へ入り自分の見つけるべきものを探す物語だったか。

一節、一枚の絵、オマージュ、コラージュ、ナラタージュたちに奥深い時や声が感じられて、沁みてきます。

 

展示されている作品とは、ときにどこかでおそらく拾われたり、汚されたり、描き足されたりしたもの。鑑賞する側は自由にそれを受け取り、自分の思索の森へ入っていくことになります。

 

ヨーロッパの、そしてわたしには東欧のにおいのするオブジェ、切れ端、ガラクタ、一節。

見下ろしたり頭にぶつかって(屋根裏の展示がメイン。頭を低くして観ないとぶつかる)しゃがんだりして、作品を自分で見つけていきます。

 

 

物語をつくり、それを守ろうとすること

結局いつも、「ある気がしたもの、こと。でもそれが何か分からなかったもの、こと」はすべて自分のなかにあることに気づきます。

でも、思うということ、考えるということは、今や過去の自分からもっとも遠くへ、自分の知らないところへ行くということでもあるとわたしたちは知っています。

 

そこへ行き、もどってくるという道のりはやがて大きくあやふやな輪郭を描く。その輪郭を、わたしたちは新たに更新され続ける「わたし」と呼んでいます

(ということを、そのあとで寄ったいとへん山本繁樹さん『星密 seimitsu』の展示を観て、自分のなかで言葉にすることができました)。

 

自分が自分の物語をつくり、それを守ろうとすること。こういうことは、大事なことかもしれないなあと思いました。

たとえばSFにのめり込む感覚。

たとえば思いっ切り自分を演出することで、呟きやため息や叫びがヒップホップになること。

こことはまったく違う世界があると想像することで、また、与えられた状況はただ「外から決められた状況」であるという自覚を深めることで、人が自分の心を守ることができるように。

 

自分がどうしてか抱えるなにかがある気がする。

何かを思い、考えるには、それはあまりに抽象的ですぐに失ってしまいそうなことばかりです。

わたしが思っていると思っていることは、誰かに、何かに、思わされていることが実はほとんどではないか。

自分にとってのほんとうらしき世界。自分が大事だと感じていたいこと。それを大事にするためには、まずそれを自分に見える状態にするために、なんでもいいから具体的にここにあらしめてみようとすること。ひとつの世界を創作し、下ろしてくることが有効なのでは。それは、自分が守り抜かなければいけないものなのでは。誰かがどうにかしてくれるものではないのでは。

 

なんとなく日常のなかで自分が自分の思うことを言葉にする。そうやって自分をすぐさま定義していくよりも、創作はもっと時間をかけて、見つめながら、立ち止まりながら、ひとりで行われます。

その分、深まりと時間、何かに振り回されずに自分の思うほんとう「らしさ」を得ることができるのでは。

ただ、それは「ほんとうらしさ」であることにも気づく。

自分の思うことがほんとうなわけでもなく完璧なものなどでもない。その、「完璧なもののなさ」を納得して、歩いていくことができるのでは。

 

 

どのように好きか、どう好きでいるか、どうやって、ここから歩いていくかを自分で決める

それが好きで、惹かれること。

でもそれをどのように好きか、これからどう愛していくかということは、いつも自分ひとりで考えなくてはいけない。

 

また、誰も他者のこだわりや世界を否定できない。

それは自分に対する関わり方にもいえる。

自分の抱えた何かを、簡単に切り捨てることはできない。それをどんなにつまらないことだと切り捨てても、そのあとに残る「それ」をはいつでも自分自身が見つめて関わり、自分の命題としなければ、自分がほんとうに思いたかったことは生きることはない。

 

何かについて教わったり、調べて知ったりすることはできるけれど、

自分でそれを自分に関係のあることだと認め、それを何かだと思い、それ=世界とどう関わっていくかということは、

自分の手でなぞり、描き、創り、究めていくことでしか、わからない。

 

 

 

ふだんネットで自分の気にかかる情報を選んで眺める感覚と、

それよりはランダムな情報が五感をとおして自分に絡んでくるような、近所を「歩く」という感覚。どこかやはりずいぶん違うと感じます。

 

自分が見ていると思い込んでいるいつもの世界は、面倒がったり避けたり、(ほぼ意識せず)取捨選択することで

けっこう、だいぶ、刻々とずれていく。

 

世界にはそれぞれの主観しかないとしても、今の自分はどんな主観でいるか、ということを時折(いつも)洗って更新していかないと、それはちょっと自分が疲労するだけになってしまう。

そんなことを思いました。

 

 

 

ギャラリーヨルチャ・川島朗×近藤隆彦「秘密の植生」~Dr.ラフレジオの部屋~

7/9(土)-24(日)

 

いとへん・山本繁樹『星密 seimitsu』

7/6(水)-17(日)

 

 

島朗さんのサイト

akira.k/artsite

 

yolcha.jimdo.com

www.skky.info