読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hidden design

大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

多くのdelete、多くのゴミからできている

digiday.jp

 

 

 

使える解析ツールは、すべてを使うべきである。それらのツールがないのであれば、入手すべきだ。そうすることで信頼のおける情報に変わるのである。

 

 

いつも手で可能性をひらいてきた

キーボードは「打つ」「叩く」「触れる」。この動作で発信者のテキストが一気に拡まる。

人が自分の「言葉を起こす」ための行為は、「ペンで書く」という動作から「指で打つ、叩く、触れる」という(ペンを媒介しない)直接的な動作に変わった。

でも、「ペンを持つ手」「キーボードを打つ指と接続している手」という、自分の体が、また自分の体の動きが言葉を発信することの媒介になっていることは変わらない。

 

印刷は「press」。言葉で発信しようと思ったとき、古くは口承で拡め繋いでいく方法、ペンや筆で書き、それを書き写して拡める方法、そしてプレスする方法がある。

ネットは「自分の体を使って書き、プレスし、拡める」ことが素早くできるツール。これはこの時代の要請があってできたもの。やろうと思えば自分ひとりの力でより多くのことをより速くできる可能性がこの時代において注目されたということ。注目されること、みんなで多方向から見つめられることによって、可能性はどんどんひらかれていく。

おもしろいことに、口承の要素も書き写し拡める要素もプレスの要素もふくんでいる。

 

 

ネットのいちばんの効能

そして、人は自分の使うツールをできるかぎり「良く」使いたいと思う。自分をできるだけ「良い」状態にしたいと思う。

遊びに夢中になるように、なぜこれが必要なのかということを論理的に説明できないままに、人はツールをつくりだす部分があるだろう。だからこそ、なぜ自分がこれを使うのか、ほんとうに自分にとって必要なのか、自分に問いながら使うこともまた大切になる。

 

自分にとっての「良い」は何か、「快適」とは何か。

「良く」とはどういうことか。それを知るツールが欲しい、と人は思う。

ネットのいちばんの効能は、たくさん失敗でき、たくさん試すことができることかもしれない。

「press」は押す、圧す。ひと押しするまでの間、多くの作業を、校正を経る。今ではキーボードのenterを押すまでに、たくさんのdeleteができるようになった。

 

推し、敲くことで自分に返ってくるフィードバックを手がかりに、伝えるべき言葉、いちばんしっくりくる「良い状態」「快適な状態」が決まっていくという感覚。この感覚はこれからも受け継がれ、洗練(あるいは複雑化、成熟…)されていくのだろう。

 

 

個々が自覚的になるための促しの機能

ある目的に照らし合わせるなら、ネットから読み取れる情報は「ゴミ同然」ではある。

けれど、「他者に見られ、ジャッジされる」ことを意識したうえでの〈個人が「発信したい」何か「良い」もの〉=より個、孤の心理に添った「希望」「要請」「ニーズ」「未だ発信され得ないもの」…が読み取れるという目的のうえでは機能する、という面もまたある。

人は共感したく、分かってほしいと思っているということとか。「いいね!」を「押す」という動作で納得する部分があるということとか。

 

ネットの、またさまざまなツールの読み方、作法のようなものに興味があります。紙の本はなくならないと思います。また、多くの選択肢ができていくことと同時に、より自覚的になれるような促しの機能が必要とされ、また見えてきているように思います。