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後藤武、佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学』 痕跡、サーフェス、受容、表現…

ギブソンは生涯をかけて苦心して「情報」についてのある種の理解を得た。この理解なしには視覚の問題は議論できないことを思い知った。そのようにして情報の理解に到達したとき、彼は初めて表現についてまったく新しい舞台で議論できるという確信を得た(※生態学的視覚論)。
ひとつの書物を費やした長い視覚についての議論の最後に、彼は「表現」の問題を配置した(※絵と視覚的意識について、動画と視覚的意識について)。

 

 ギブソンは「アフォーダンス」という言葉をつくった人です。

たとえばテーブルがあって、誰もがそれぞれの視座で視線でそれを見ている。そして、これは長方形だと誰もが認識している。でも、そのテーブルそのものを、そのテーブルが長方形であるところを、実は誰も見たことがないということ。これに自分のなかでリアリティをもって気づき、こだわるという行為はアートではないかと書かれています。

 

環境によって人が変化し自ずと活動させられることや、認識のずれが常にあること。それらの発見をきっかけに、ギブソンは「情報」というものを考えました。そして、「情報」と「表現」の密接な結びつきを探り当てました。

人は動かされ、揺さぶられている。自らの「行為のどもり」によって生命を発生させながら持続させる存在である。そう思わされます。

 

 

そういえば。

この条件が整うからしあわせ、これがこうだからこう、この経験は次に生きる…ということはない。
人の認識はいつもかなり遅れてやってくるし、自分で意識できる範囲内ではまったく論理的ではない。

自分の今の二大シアワセといったら、「日中部屋の灯りを消して出ては帰ってくる」ということ、「だいぶ疲れた夜に自転車でどこまでも行けそうな感覚になりながらも家に帰ること」です。

この感覚を、わたしは誰にもどうやっても説明できないでしょう。けれど、たしかに自分にはこれらの環境が完璧に自分を支えてくれるもので、全面的に負っていると確信しています。

言葉にした途端にこのことは嘘くさくなるということも。

 

話す、表現するということは、どこをどう切り取るかという、いつも1回きりの、ほんとうに「表現」であるということ。

また、行為と痕跡。痕跡になりうるとっかかりが見えたときに、それをヒントとして何かをつくりうる契機が生まれる、とも書かれていました。

 

 

わたしたちはまったく主体的な存在ではないのかもしれません。

どう受容するか。この難しさにつきるのかも。

 

どうやって人は境界をみとめるのか。

インスピレーションを与えるものが、なぜか、ある。

きっかけのようなものが内在していて、人の行動や考えを誘うものが。

デザインの便利なところは、何かを「ある」としてしまうことができること。 

 

 

われわれの目的は、テクストのひらかれた意味形成性を理解し想像し生きるようにすること。

ロラン・バルト記号学の冒険』

 

 

デザインの生態学―新しいデザインの教科書

デザインの生態学―新しいデザインの教科書

 

 

 

記号学の冒険

記号学の冒険