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hidden design

大阪市で働くデザイナーのブログです。ポートフォリオ→https://hiddendesignsite.wordpress.com/

「hidden design」という屋号と、そのまわり

アメリカ。

アメリカ、シカゴに3か月だけいたときに人に言われて心に残っていることは

 

今あなたは踊りたくないと感じているんでしょう?じゃあ、あなたは踊らなくていいんだ。

あの先から向こうは行ってはだめなんだ。あなたにはあの場所は危ないから。

それができるようになりたいんなら、今から慣れ親しんだこれを使ってはだめ。

あなたがそう感じるのは、どうして?きかせてみてほしい。

 

そんな言葉。

 

 

「hidden design」という屋号は、その頃、毎日近所の本屋で座って眺めていた本のタイトルから来ています。

語呂の良さと、自分の名前の「h」を頭におけるのもよかった。

濁点の多い、こもったような語感も気に入っています(濁点の多い語感は「美味しそう」)。

また、こういう決め方は最初に勤めたデザイン事務所で教わってきたことのように思います。

この名前あるものを、自分は大事に育てていく義務も権利もあり、理解したいと思うのです。

 

 

フリーで仕事を受けるときの名刺もロゴマークもいまだにつくることができていないのは、まだまだ自分の環境が整っていないという後ろめたさがあるからで、4月あたりまでには会社との兼ね合いも決めなければいけない気が・決めていい気がしています。

自分の家族との付き合い方、会社との付き合い方、社会との付き合い方があり、

自分は何をどう大事にするか、どう付き合っていけばいいか。

 

 

ものごとを選べるという環境にたまたまいることが、すごくラッキーなことなんだと感じています。

また、何か・誰か、自分が見えないようにしていることの犠牲のもとに成り立っているということも。

 

 

自分にとって不本意だと感じることをしないこと、それはたとえ小さなことでも。ごくごく小さな、挨拶にまじるフレーズでも。

 

 

お金の交換が発生しない関係性や状況における、

お金以外の自分にとっての価値を、自分はまったく分かっていないなあと思います。

価値とは何かということも。

どうして分かっていなくても表面上は大丈夫そうだったのか、問題なさそうだったのか、ということも。

構造のなかに組み込まれながら考えること、思うこと、感じることは、

はたして、ほんとうに自分にとってそのように「考えること、思うこと、感じること」なのかどうか。

 

「表現をする」という方法でもって、能動的に「考え、思い、感じる」ことのほうが、たしかなことなのだと思います。たしかなこととは「方法、道のり」であって、回答、解答、また解凍でもない。

「表現をする」とはとても小さなところから、自分の身の回りのところから、ワンフレーズから。

 

 

ナレッジキャピタル超学校の「未来を動かす人とテクノロジー」の回へ。

平川秀幸さんと若林恵さんの会話のうちに、そんなこともあらためて思いました。

 

 

自分の来し方から、行き方から、どうも自分はこうなってこう納得してこうするのが生きやすいようだ。仕事するよろこびや価値を、自分はどう構築するか、という面からエゴイスティックに仕事と付き合っていくというやり方は(というよりは、そこの癖を自覚してできればできるかぎり受動的に)、松本工房の松本久木さんとサウダージ・ブックスの瀬戸内人さんの会話のうちにはっきり意識しはじめたことだったように思います。