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熊本震災と障害者を受入れた避難所 熊本学園大学・激動の45日(リバティおおさか)

避難所での生活は共同生活で、普段からその生活自体に工夫やオプションが必要な人たちがいる。社会全体が非常事態になり、どうしても平均的な目線での対応がせいいっぱいという状況になると、その受け皿では間に合わない人、マイノリティな立場にいる人にかなりの困難が降りかかってしまう。

熊本学園大学という場所でそういった人たちの困難を共に受け入れ、学生たちを中心に工夫や知性といった人の力があつまり、乗り越えたものについて。避難所としてのその場所から一人残らず送り出したとき、その「人の力」というのが被災者自身が力を出せる「支え」の力だったのかということに思い当たる。

 

実際にそのときにどのような細かな問題があったか、どのように受け止めるのがベターだったか、どのような対応が有効だったか、そのノウハウがつまった素晴らしい展示だった。

細かくはこの何十倍もの問題や認識、工夫や失敗、そして問題提起があるだろうけれど、大枠のそれらは、ここにいるわたしにも分かるよう、入口のパネルにすべてコンセプトとしてつまっていた。このパネル1枚をつくづく読むことでも、根本的に大切なことが何なのか、ということに思いが及ぶ。

 

 
・避難受け入れを決めてから、24時間、72時間、1週間、30日…というふうに、その期間に最優先させるべきこと、目標を立てる。それはキャッチコピーになって、1つのコンセプトとしてその期間にボランティアする側の個々の胸に常に刻まれ共有されていたと思う。

 

・ピンクのベストが展示されていた。アイコン、象徴として45日目以降を生きる糧や問題提起となる。

 

・個々への配慮と、「配慮をするけれど管理をしない」というスタンス。

名簿をつくらないという選択、被災者への質問項目を最低限にすること、被災者ひとりひとりが自分にとってその時に必要なものを自由に選んでとれるような工夫(救援物資として届いたものを分類し、ラベルをつけてボックスに置いておく)などなど。

 

・スペースの使い方について、みんなで共有する。

常に最新の情報を1階のロビーなり、必要なところに書き、更新していく。ペットと一緒にいたい人のスペース、妊婦さんや赤ちゃんがいる人のスペース、車いすの人が横になれるスペース。赤ちゃんがハイハイするためのスペース。なんとなく人がいつも誰かのそばにいて、干渉はしない。そういった意識が底に流れていた。

 

・「ボランティア自身の休息」のための工夫。「ボランティアする人は、休憩時はベストを脱ぐこと」という決まりをつくったこと。被災者との相互コミュニケーションには、依存の仕方をそれぞれが探りながらの共同生活という意識、個々の持ち場や目的への意識が生まれていたと思う。

自分の「生きやすさ」を考え、共有すること。「依存」は生物にとって必然であること。そのかたちを探ることが肝であること。

「ボランティア自身の休息」のための工夫を考え実践することは、それぞれが本質的な問題に向き合うため、持続のための工夫でもあったと思う。

 

・つづく余震への対応、未来を考えながらの対応。エレベーターは数日使用不可の状態だった。ボランティアの声かけ、トイレ掃除、足の不自由な人のサポートなどがつづき、エレベーターの扉などには熊本市の情報(交通機関医療機関)が掲示・更新されていた。

 

・ストレスを表に出せない子たちも多い。社会福祉学部の教員などによる専門的な計画・実践(「子どもの生きる力に学ぶべきところが多かった」(当日資料より))。持ち場を守る。

 

・「誰のための」支援かをボランティアの学生たちが共有していたこと。ベッドの高さへの気遣い、毛布などの日光浴などといった、「被災者ひとりひとりの心地よさ」を思い、考えることから生まれた工夫。

 

・ゴミを資源にする工夫、規模を縮小していき、目標を避難所を出たあとのそれぞれの暮らしに向けていく工夫。「熊本学園大学避難所」の看板を降ろしたとき、ここから、ここに関わった人それぞれの課題が生まれた、という。

 

・熊本、東北、ブータンなどから届いた手書きのメッセージや笑顔の写真も展示されている。

外側からの「絆」「がんばろう」という声は、そのただなかにいる人たちにとっては受け取るのがしんどいように思う。でも、ここに展示されていた、ボランティアの学生へのいたわりや、経験からくる声かけ、その「肉声」の力にはほんとうにはっとさせられ、自分自身の生きる力、大切なことを思い出すような気もちになる。人の笑顔はほんとうに力になる。

 

 

・最後のひとりが(出て行かせるのではなく)自然に避難所を出ていくまで見守る、というのが最終期間の目標だった。

そこからそれぞれの未来へつながるのだが、その未来へのつながりがこの時点で見えていたのは、熊本学園大学の「今まで」があったからということがよく分かる。

普段から社会とのつながりの意識があったから、バリアフリー化の取り組みがあったから、合理的配慮に取り組んできたから、自治体や病院とのつながりがあったから…等。運営のコーディネートは学園を中心に、自治体職員などもよく関わったし、拠点病院とのパイプ、また拠点病院からほかの病院へのパイプにより、困っている人がスピーディーに助かることにつながった。

 

・避難所解説4日目から、作業療法士理学療法士介護福祉士社会福祉学部教員、院生などによるひとりひとりへの聞き取り、具体的な支援が行われる。「無意味な質問をしない」ことが守られた。

 

健康被害を出さないための消毒やアレルギーなどへの対処のメモ、おひさまカフェの開設や美容ボランティアなど、「ひとりひとりが心地よく生活できるため」の「次のこと」が常に考えられていた。

 

 

 

リバティおおさかの常設展の内容もとても濃く、2時間くらいいた気がする(もっといたかったけれど帰らなければいけなくて無理だった)。

 

水俣病、部落差別、アイヌ差別、沖縄差別、戒名差別…

人は相手が死んでまで差別する。

それらから見えてくる人の心のはたらきや社会の構造、それらとどう向き合って考えていくか・共に生きて行くかを探り実践した人、関わった人たちの具体的な資料が集められている。自分で知識を深めるための資料もある。

いじめで自殺した子たちの遺書もあった。

 

 

リバティおおさかは2013年に大阪市からの補助金が撤廃され、サポーターを募るなどしてなんとか成り立たせているようなのだけど、なんとかして残してほしいなあと思う。ここがもし取り壊しなどになったら、自殺した子たちの遺書は一緒に焼かれてしまうのだろうか。もちろん資料として保存されるだろうし、「この世からなくなる」ことにはならないだろうけれど、ここに展示されているのと、「自分からアクセスしなければ見に行けない」また「実物には触れられない」のとは、やはり伝わり方が違う。どうしても「受け止め方が」軽薄になってしまうし、まず軽く薄く受け止めたそれ以降に思いを馳せるための力が人にはあっても、今、ひとりひとりがそこに時間を注げない。

 

どこか心ある(いえ、心はある。心があって現実的に余裕と見る目がある)企業がスポンサーになるとか、オウンドメディアで人権についての発信がなされるとか…この危機を機に有意義に生存の方法や力を高めて行けるよう、なんとかならんのかとそわそわしてしまう。

 

 

こういった資料に触れ、そわそわする思いを持ち、還ってくるところはいつも、

それでも、自分の身の回りのことがらや人、自分のことをまっすぐ視ること、小さな問題ひとつひとつと一緒にベターな道を探って誠実に生きていくこと、耳をすまし他者の声を無視せず過ごすこと、生活すること、という実感だ、いつも、と思う。

これは風が吹いたら飛ばされそうな頼りない実感であり、忘れないようにいつもあらゆる問題に触れにいくこと(ここに、伝わり方は軽薄でもインターネットの方法や要請がある。そして軽薄のまま受け止めたままケイハクに扱わずまっすぐ受け止める心の技術のようなものがわたしは欲しい)、頼りない自分こそを「大切に」扱ってみる道のりが、自分にとっては何か重要なことではないかと感じている。

 

 

 

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